25.  退職するまでの「まとめ記事」!

退職するまでの「まとめ記事」!

お金の勉強に入る前に退職完了までまとめておきます。

わたしは令和3年6月30日に退職することができました!

退職までの経緯をまとめます!

【3月ごろ】  不眠障害(夜中に目が覚めて、不安で眠れない、大声を出す、妻を叩きそうになる)、不安症(日中も不安にかられ、胸が苦しくなる)、集中力低下判断できない自分を責める仕事のことを考えると落ち込む、などなど・・・の症状がありました。

 
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【4月3日】 朝起きると、気持ちが限界まできていた。

朝、あきらかに顔の表情がおかしい・・妻に病院を勧められる。 心配かけたなぁ・・(^_^;)

10時・・・妻が病院を予約してくれる。

16時・・・病院に行くことを上司に報告。

 
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【4月5日】 妻と一緒に心療内科へ行き、「適応障害」と診断される。

・3ケ月の休職が必要との診断書をいただきました。

・上司に診断の結果を連絡し、そのまま休職にはいりました。

 
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【4月6日】 休職がはじまる。

・気持ちがとても楽になる。

・とにかく寝る!

 

【4月7日~4月9日】 微熱が続き、胸が苦しい・・・

適応障害ってこんなにも気だるさがあるのか ?」

と真剣に思っていた。

・・・まさか・・・コロナ?

不安がよぎりながらも近くの病院にいきました。

そしてPCR検査をうけました・・・

 
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【4月10日】 「コロナ陽性!」の結果。

・保健所から連絡があり、コロナとの闘いが開始される。

・会社にも連絡して、あとは・・・どうなったのかな?こえ~!(^_^;)

 
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【4月12日】 妻まで「コロナ陽性!」まじかっ!

妻には症状がありませんでしたが、濃厚接触者のため、PCR検査を受けた結果!

まさかの「コロナ陽性!」

同居している23歳の長男は陰性でした。

 
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【4月14日】 市立病院で入院生活が始まる。

わたしは保健所の指示に従い、指定された病院でCT検査をしたところ。なんと「肺炎」との結果。

コロナの中等症患者と認定され、その日のうちに入院を指示されました。

 
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【4月16日】 妻もコロナで入院となる!

わたしが入院して2日後に妻も症状が悪化しました。

妻は保健所の指示に従い、近くの総合病院検査に行きました。

結果、

「コロナで肺炎になっています!」

「今日、入院してください!」

・・・同じ病院で妻との入院生活が始まりました。

 

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【4月27日】 妻と一緒に退院しました!

病院もわたし達が夫婦のため、退院日を一緒にしてくれました。

一緒に退院できて本当に良かったです!

治療していただいた病院の方々、本当に感謝します!

 

 

【4月28日】 退院したことを会社に連絡しました!

会社も保健所の指示で、わたしに関わった8名もPCR検査を受けていました。

結果はすべて「陰性」でした。 ホッ!(^_^;)・・副社長、常務も大丈夫でした(汗)

 

 

【5月7日】 「退職願 」を会社に提出!

便せんに退職願いを手書きして、白い封筒にいれました。

そして、会社の上司である常務に連絡して次のように話しました。

「お話したいことがありますので、少しお時間いただけないでしょうか?」

「できれば会社の外がありがたいんですが・・・」

常務は

「わかりました。会社近くのコンビニで15時会いましょう。」

そこは、常務とよくコーヒーを飲んでいた場所です。

15時になりました。

常務は

適応障害とコロナは大丈夫?副社長もみんな心配しているよ」

わたしは

「このたびは、ご心配とご迷惑おかけしました」

「本当に申し訳ございませんでした」

「お話というのは、じつは今回の病気で気力と体力がかなり落ちました」

「わたし自身が今の業務をやっていく自信がありませんので、健康上の理由により会社を退職させて下さい」

常務は

「・・・」

「とりあえず休職のかたちで一年ぐらい休んだらどう?」

「今の仕事ではなく、事務職の選択もあるよ」

わたしは

「本当にありがたいお話ですが、妻も今回のコロナでダメージが酷く、妻を支えていきたいと思います。」

「勝手言ってすみません。退職願を書いてきましたのでお渡しします」

常務は

「・・・」

「副社長に渡しておきます」

「でも、もう一度考え直してください」

そうして、その場は終わりました。

 

わたしは副社長にもあとで電話しました。

副社長は

「一度会って話をしましょうよ?」

と言われましたが、会って話をすると「引き留め」しかありません。

今は、わたし自身が会社に戻る気はありませんでしたので、

わたしは

「妻ともしっかり考えた上でのことです、申し訳ありません」

と言って終わりました。

 

常務に「退職願」を渡す時は、かなりドキドキしていました。

しかし、「退職する!」という強い意志がありましたので、心が揺らぎませんでした。

 

 

【6月14日】 「退職のご挨拶」のアポ!

退職願いを提出して1ケ月以上たちました。

その間は会社からも連絡が無く、退職願いは受理されたのか心配でした。

それと同時に、このままなにも言わずに退職するのもどうかと思い、わたしは副社長に退職のご挨拶をしようと決心しました。

正直、副社長に会うと、強い引き留めにあうので、とても不安なのですが、最後のケジメです。

 

【6月20日 本社へ退職前のご挨拶!

今日の日を迎えるまで、毎日がとても不安でした。

ちゃんと退職できるのかな? なんて言われるのかな? きっと責められるんだろうな?

一人で勝手に不安に思っていました。

 

13時30分。本社の玄関で常務と待ち合わせしています。

その時、専務(本社勤務ではないんですが、たまたま本社に来ていたということ・・)

専務はわたしに厳しく指導してくれた方です・・結構追い詰められましたケド(^_^;)

専務はわたしの天敵でもありましたが、最後の挨拶をすることができました。

 

専務に会ったわたしを見て、常務が笑っていました。

常務は

「日頃、本社に居ない専務に最後会うとは、運が良かったね(笑)」

わたしは正直なところ、気が気ではありませんでした。

 

それから副社長にご挨拶です。

常務は人目に触れないように副社長へ案内してくれました。

副社長にご挨拶です。

副社長は

「今回のことはとても残念です」

「でも最後にちゃんと会うことが出来て良かったです」

「せまい町なんで、どこかで会うことがあるかもしれませんね」

と言ってくれました。

わたしはこの言葉を聞いて、ホッとしました。

 

それから副社長は、

「社長もいますんで、一緒に挨拶に行きましょう!」

うおっ!マジかっ!

社長まで・・・ちょっとビックリしましたが、社長室に行きました。

社長は

「あなたは真面目に良くやってくれました」

「あなたには何もいう事がありません」

「元気でやってください」

と言ってくださいました。

わたしは

「これまで家族を養えたのは会社のおかげです」

「ありがとうございました」

とお礼を言い、社長室を出ました。

 

ここまでくれば、いままでお世話になった本社の方々にも挨拶しておこうと思い、本社フロアにいきました。

人前に出るのはとても怖かったのですが、声を振り絞って挨拶しました。

「突然に休職したり、コロナにかかったりなど皆さんに大変ご迷惑をおかけしました」

「わたしの健康上の理由により、6月30日をもって退職いたします」

「本当にお世話になりました」

皆さんから

「お疲れ様でした!」

と声をいただきました。

 

わたしは常務に見送られて、本社の玄関を出ました。

すると、別ビルに居るはずの会長が目の前を歩いていました。

本当に偶然でした。

会長から「コロナは大丈夫かい?」と話しかけられました。

・・・会長まで知っている(^_^;)

「もう回復しました。ありがとうございます」

そして、会長に退職することを告げました。

 

それを見ていた常務は

「会長にまで会うとは、本当に面白いね!(笑)」

 

・・・わたしは、最後の最後で会長、社長、副社長、専務、常務、本社の皆さんとフルコースで会うことができました。

でも、勇気を振り絞って、最後の挨拶に行って良かったです!

今に思えば、27年間お世話になった会社です。

ちゃんと挨拶できて良かった!

最後はスッキリしました。

挨拶の場を作っていただいた上司の常務には感謝いたします!

 

【6月30日】 退職日!

こうして、無事に退職日を迎えることができました。

その夜、家族からプレゼントのサプライズがありました。

過去記事

なにもかもが泣ける・・・感謝!!

    ◆

    ◆

    ◆

・・・4月3日から約3ケ月。

今思えば、これほど濃縮した時間を過ごしたことはありません。

この3ケ月で適応障害、コロナ、休職、退職を経験しました。

《「人間万事塞翁が馬」にんげんばんじさいおうがうま》とも言います。

中国のことわざで、人生は、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないの意味です。

良いことも、悪いこともまったく予測がつきません。

このことを身をもって知りました。

病気が不幸か?幸せか?

退職が不幸か?幸せか?

結局、死ぬときになってみないとわかりません。

 

でも、これだけはわかります!

今は、幸せです!

 

24.  退職することへの不安

退職することへの不安

コロナでの入院中に、退職を決意したわたしは、今度はその退職意思の伝え方を考えました。

前回の記事23.  退職の決意!で書いた通り、わたしの会社は精神論で成り立っているところがあり、

もし「会社を退職します」と言えば、

「きみが辞めたらみんなが困るぞ!」

「逃げるのか!」

「あとの仕事はだれがするんだ!」

「辞めるなんて無責任だ!」

と言われるのがオチです。

うちの会社は、わたしがこれまで見てきた中で、会社から追い詰められてやめていく人がほとんどでした。

会社から「ダメなやつだ!」のレッテルを貼られ、地方に飛ばされ、自然といなくなるケースがほとんどです。

今回わたしのように、社員から会社に別れを告げて退職するケースは見たことありません。

わたしは、

「退職する!と告げたら、会社からどんな仕打ちがあるのだろう?」

毎日のように引き留めの連絡があったり、家に来たりするんだろうな・・・

と、とても不安でした。

でも、決意した以上、会社を退職する気持ちは変わりません。

ここは、退職の理由を、しっかり伝えていこう!

ポイントは、

  1. 今回の「適応障害」と「コロナ」で体力と気力が無くなった。
  2. 妻も「コロナ」でかなりのダメージがあり、退院後の支えが必要です。

これをしっかり伝えようと思いました。

 

4月6日から適応障害で3ケ月の休職に入り、休職が終わるのは診断書上、7月7日です。

わたしは、退職日を6月30日と決めました。

そうなると、最低でも1ケ月前の5月31日。

現在は4月20日

ゴールデンウィーク明け5月7日だったら、1ケ月半前です。

このあたりに会社に退職意思を告げようと思いました。

 

それまで、しっかり「家計」を見直さないといけない。

会社を辞めても大丈夫な状態にしないといけない。

勉強しないといけない!

「傷病手当」「失業手当」「社会保険」「住民税」「年金」・・・

勉強することが沢山あります。

時間はあまりありません。

気合を入れて「お金の勉強だ!」

そして「お金の大学」での勉強に入りました!

今日も良い一日でした(^^)/

ゴン(愛犬)の散歩途中の風景!

 

23.  退職の決意!

退職の決意!

入院中に、

お金の勉強 = 人生の見直し

をしていくうちに、人生を見直すことを考えるようになりました。

そして、考えていくうちに、

このままでの会社生活では、おそらく「適応障害」を繰り返すな・・・と思いました。

病院の先生も、ストレスの原因を取り除くことが必要と言っていました。

つまり、

環境を変える → 今の職場から離れる → 退職する 

といった、結論になりました。

退職しよう!

新しい人生をスタートしよう!

50才からのReスタートだ!

退職の決意をしました!

妻にそのことを話すと、もちろんOKでした。

妻も以前より、会社の環境に不信感を持っていました。

「生活はなんとかなるよ!」

と、言ってくれました。

本当に心強くて、ありがたい!

わたしは早速、脱出の準備にとりかかりました!

退職する理由をノートに書きだしました。

以下は当時のノートに書いたことです。

  • 今回の「適応障害」の療養をしたいと思います。
  • 健康上の理由により、退職いたします。
  • 嫁さんも、今回のコロナでかなり体力にダメージがあったので、支えていきます。
  • まだ、会社の事を考えると、不安な気持ちがぬぐえない。
  • 夜もまだ薬に頼っている状態です。
  • 焦り、不安感がぬぐえない。
  • 自分を責めてしまう。
  • 心をコントロールできない。
  • とても苦しい。
  • わたしも今回コロナで体力がかなり落ちたので、2人で体力をつけながら、それからゆっくり考えます。
  • 今回の退職は、嫁さんの願いでもある。
  • 今の仕事を続ける「体力」「気力」が無くなった。
  • わたしには環境を変える必要があります。
  • 自分で判断ができないため、今まで通り仕事ができない。
  • 今の仕事を続けながらでは、病状が良くならない。
  • 退職理由はあくまで、わたしの健康上の理由です。
  • どうしても自分を変える事ができなかった。
  • 自分はプレーヤータイプ。どうしても現場側に立ちすぎてしまう。
  • 会社が変わっていく事に、自分が全部受け止めて、会社を良くしようと思いましたが、力不足でした。

ノートに思いつくがままに綴りました。

退職の理由は決まった!

あとは行動だ!

わたしの会社は、とても遅れており、精神論で成り立っていいるような会社でした。

ブラック企業!」と会社の悪口を言うつもりはありませんが、とにかくルールが無く、責任者にすべてがかぶさってくる傾向がありました。

実際に対外的に動ける部長はわたし一人だったので、全国の店舗の数値責任、エリア長指導、組織作り、経営計画、新規開拓、折衝、交渉、裁判などに関わっていました。

とにかく、

経営者側の意見を現場に押し付ける→現場から不満があがる→板挟みになる

これの繰り返しでした。

とても苦しかったです。

わたしに判断能力がなく、会社を混乱させていたのかもしれません。

会社だけの責任ではなく、わたしに力が無いんだと、いつも自分を責めていました。

逃げようにも、逃げられない。

当時、毎日、何をしていたのかも思い出せない・・・・

結局、何もしていなかったのかもしれない・・・

ひとつの問題が解決せずに、次から次に問題が増えてくる。

経営者の要求が一つずつ増えてくる。

出口の見えないトンネルの中で、右往左往していました。

いつも追い詰められていました。

今なら退職できる・・・

このタイミングだ・・・

逃げたい一心でした・・・

この記事を書いている「今」は退職しています。

今は退職して本当に良かったと思います。

こんな生活があったのか!と思うくらいです。

退職までの経緯を次回綴ります。

今日も良い一日でした(^^)/

ゴン(愛犬)の散歩途中の風景!

22.  入院中に「お金の勉強」を始める

入院中に「お金の勉強」を始める

入院中、わたしはテレビを一回もつけませんでした。

テレビは暗いニュースで気分がさがったりします。

スマホの動画を見ることが多かったです。

入院の初めのほうは、アマゾンプライムでアニメをよく見ていました。

「ナルトの忍界大戦シリーズ」を見ていました。・・・面白いけど、とにかく長い(^_^;)

あまりにも時間がかかるので、youtubeでまとめられた動画があったので、結局それを見ました。(^_^;)

面白かったけど、時間がもったいないような気がしました。

せっかくの一人の時間なんだから、有意義に使いたいと思ってきました。

キンドルも持っていってましたので、読書することにしました。

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Kindle Paperwhiteを持っていきました。

病気でしたが、体調はそこまで悪くなく、本は十分に読めます。

「そうだ、何か勉強しよう!」

そのころ、youtube動画で、「両学長、リベラルアーツ大学」に出会い、

楽天経済圏」を紹介する動画を見ました。

これだッ!

「お金の勉強をしよう!」

この入院中の時間を使ってお金の勉強をしようと思いました。

わたしはキンドルでお金の勉強になる本を探しました。

すると・・・

「本当の自由を手に入れるお金の大学」

 両@リベ大学長(著)  に出会いました!

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「本当の自由を手に入れるお金の大学」両@リベ大学長

わたしはすぐにダウンロードし、本で勉強することにしました。

この本はとても読みやすく、イラストもわかりやすく、頭にスッと入ってきます。

勉強!勉強!

最近、勉強するなどの意欲がありませんでしたが、「勉強がしたい!」といった欲求が湧いてきました。

自分のためになる!

さっそく、両学長の著書「お金の大学」を読みました。

そこには、5つの力が書いてありました。

  • 貯める力
  • 稼ぐ力
  • 増やす力
  • 守る力
  • 使う力

まずは「貯める力」だ。

【支出を減らして貯蓄を増やす】

家の固定費を見直すことから始めよう!

「今、家の固定費ってどんな感じなんだろうか?」

「何にお金がかかっているんだろう?」

「貯金はあるのかな?」

いろいろな疑問が頭に浮かんできます。

そもそも、

「俺、なんも知らないや・・・」

今まで、何も考えなくて生きてきたんだな・・・

考える余裕すら無かったなぁ・・・

わたしは毎月5万のお小遣いをママからもらっていました。

その5万円の使い道しか興味がありませんでした。

会社の部下たちの飲み食いに消費することがほとんどでした。

残ったり、足りなかったり・・・

出張が多い仕事だったので、「出張手当が残ってラッキー」とか、

飲み食いしすぎたな・・・とか、本当にその程度でした。

これはヤバいぞ・・・

自分の人生を考え直そう、

この、入院の時間は神様からの「喝!」なのかも知れない!

「おまえは何も知らないから、勉強しろ!」

って、言われているんだ!

少し、前進している自分がそこにいました。

 

お金の勉強 = 人生の見直し

この頃からか、「このまま退職しようかな」・・・といった考えが少し芽生えてきました。

自分の人生をやり直そうかな?

会社を退職したらどうなるんだろう?

生活していけるのかな?

家のお金はいくらあるのかな?

なんか、いろいろな事を考え始めました。

今日も良い一日でした(^^)/

21.  妻と一緒にコロナの入院生活 その2

妻と一緒にコロナの入院生活 その2

妻とのコロナでの入院生活がはじまりました。

点滴が効いたのか、二人とも肺炎は回復方向になりました。

コロナの診断では、重症度の分類があり、「軽症」、「中等症」、「重症」があります。

わたしたち二人とも「中等症」と診断されていました。

しかも、その当時はまだ珍しい「変異株」でした。

妻の方は、点滴を打ち始めたころは、食事をもどしたりと少しきつかったそうです。

でも、入院3日目ごろから、ほぼ症状が無くなりました。

一日のスケジュールは、

朝6時に「検温」と「酸素飽和度」を測る放送があります。

8時に朝食。

10時にストレッチ(入院で寝たままだと、足に血栓ができやすくなり、エコノミー症候群となるため、軽い運動をするため、運動の先生?が来てくれます)

12時 昼食

14時 またストレッチ(^_^;)

18時 夕食

21時 消灯

となります。

食事は個室の出口に配膳され、配膳されると放送がかかります。

その食事をとるときは、患者さんが出口に現れるので、わたしと妻はその時に顔を見ることができました。

顔をみると安心します。

 

1週間たつと、妻の部屋にはシャワー室がありましたので、夫婦という事で、

「シャワーの時は奥さんの部屋に行ってもいいですよ」と許可がでました。

それまで、シャワーは共同のシャワー室で少し使いづらかったので、非常に助かりました。

妻の部屋に行き少し話す時間がありました。

その時にお互い顔を見て、少し話すことができました。

夫婦でコロナになったとは言え、本当に恵まれた環境で入院させていただきました。

 

今日も良い一日でした(^^)/

病室からの朝日!

20.  妻と一緒にコロナの入院生活

妻と一緒にコロナの入院生活

わたしが入院して2日後、自宅療養していた妻から電話がありました。

妻の症状が悪くなり、熱が上がってきたとの事でした。

妻は保健所の方の指示に従い、近くの総合病院にCTの検査に行きました。

結果は

「コロナで肺炎になっています!」

「今日、入院してください!」

とのことでした。

妻も肺炎・・・大丈夫かな・・・

ものすごく心配でした。

妻から電話があり、

「パパと同じ病院で入院することになったよ!」

「一緒の病院で良かった!」

妻の声を聞くと大丈夫そうで、すこし安心しました。

妻は自分で車を運転し、病院にきました。

部屋はわたしの部屋の一つ飛びの個室です。

もちろん接触はできません。

病院の先生が

「奥さんも病室に入られました」

と教えてくれました。

保健所の方が夫婦だから一緒の病院にしてくれたのかな?

配慮してくれたんだろうな。

ありがたい・・・

本当に良かったです。

妻もわたしと同じ、注射、点滴の洗礼を受けました。

妻の点滴が終わると連絡をとりました。

妻は

「一緒の病院で良かったね!」

と嬉しそうでした。

夫婦でコロナの入院・・・

なんとも複雑な気持ち・・・

妻から

「パパが持って行ったWI-FIの電波が使えるよ」

「ラッキー!」

病院はWI-FIの設備がなく、わたしはポケットWI-FIを持って行っていました。

一つ飛びの部屋でも、電波が入るみたいです。

妻が入院し、なんだか気持ちが楽になりました。

これまでは、コロナで会社に迷惑かけた・・・

妻にまでコロナを移してしまった・・・

なんて最悪なんだ・・・

と悲観的な考えでしたが、

WI-FIが使えてラッキー!」

の言葉で、少々気が抜けました。

でも、自分もキツイ中で、わたしに心配させまいとしているんだなと思いました。

今に思えば、当時はまだ病床も余裕のある時期でしたので、夫婦で同じ病院に入院できたのは、

不謹慎な言い方かもしれませんが本当に「ラッキー」だったのかもしれません。

本当に感謝します。

こうして夫婦の入院生活がはじまりました。

 

つづく・・・

今日も良い一日でした(^^)/

ゴンの散歩の途中にて

 

19.  コロナの入院生活が始まった

コロナの入院生活が始まった。

まず、今思うとコロナで入院できたことは本当に感謝すべきことでした。

国民の安全のためコロナ対策に関連する方々、保健所の方々、病院の方々、本当に感謝いたします。

この場をお借りして、お礼申し上げます。

 

コロナの入院生活が始まりました。

市立病院で2年前に新設されたばかりです。

とてもキレイな個室で、トイレ、洗面台、テレビ、冷蔵庫もあります。

景色がキレイで、街並みと山が一望できました。

着くや否や、採血、注射、点滴が始まりました。

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痛くはありませんでしたが、点滴の針がなかなか入らないので、何回も刺しなおしでした!

生まれて初めての入院。

テレビも音楽もつけずに、点滴の「一滴、一滴」を2時間みつめていました。

人生が転がっていく・・・

どんな場所に転がっていくのかな・・・

夕食の時間です。

個室の前に用意されていたので、点滴を付けたままお膳を取りに行きました。

食事は・・・

贅沢は言いませんが、おつゆがぬるく、味付けも薄い・・・(食事をつくっていただいた病院の方々、ゴメンナサイ)

少ししか食べることができませんでした。

贅沢は言いませんが・・・妻の料理が食べたい・・・

個室なので、電話は使っても大丈夫です。

わたしは夜、妻に電話しました。

妻に病院の事、点滴の事、食事の事など話しました。

今まで病気したことなかったのに、一気に精神的、肉体的な病気になりました。

すこし気持ちが小さくなっていました。

でも妻と電話をすると、心が少し晴れました。

妻もコロナなのに・・・

妻も熱が少し上がってきたそうです。

心配だ・・・一緒に入院できればいいのに。

 

今日も良い一日でした(^^)/